Diary of a rail fan in Kansai,Japan(Ver.2)

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1965年〜2009年の南海高野線(河内長野〜橋本)の変遷

この前の旅行記で大運転区間がどうこうと述べましたが、正確には述べにくかったので
図にしてみました。
間違いとかあったら、ご指摘お願いします。


例えば、以下のようにあやふやな例があるからです。


Wikipediaの「南海高野線」のページ

1964年(昭和39年)2月25日 紀見峠 - 御幸辻間が一部複線化。同区間に橋谷信号所開設。

という記事がありましたが、Wikipediaの「林間田園都市駅」のページには

1981年(昭和56年)11月22日 - 紀見峠〜御幸辻間の複線化工事の一環として同区間単線のまま開業(交換は可能)。
1983年(昭和58年)6月5日 - 紀見峠〜御幸辻間が複線化。

という記事がありました。


また、他のサイト(南海110年のあゆみ)では

翌55年5月12日に紀見峠〜御幸辻間が単線で新線に切り替わり、

とあったので、
僕は勝手に「旧線時代に紀見峠〜御幸辻に橋谷信号所が開業。と同時に橋谷信号所の前後区間が複線化。→
新線に切り替え、紀見峠〜御幸辻は単線で開業(橋谷信号所も新線に移設)。→
紀見峠〜橋谷信号所に林間田園都市駅が追加。→
紀見峠〜御幸辻の複線化と同時に橋谷信号所廃止」
と解釈しましたが、ひょっとしたら間違いかもしれません。


あと、橋谷信号所が林間田園都市御幸辻寄りにあったのか、紀見峠寄りにあったのかを文献から知るのは不可能だったので、Googleの地図で調べてみると林間田園都市御幸辻に「橋谷」という地名が残っていたので、橋谷信号所が林間田園都市御幸辻にあったと判断しました。


もう一度言いますが1965年〜2009年の変遷です。
というのも「1974年3月23日以前」というのを「開業時〜1974年3月23日」と誤解してほしくないからです。


※途中でサイズが変わっているのはアップロード時のミスです。特に意味はありません。