Diary of a rail fan in Kansai,Japan(Ver.2)

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ジモ友がいないもんで

妻が「寝耳にリコン」を切り出す瞬間
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20101019/216730/?P=1


本文(リンク先の3ページ目)によると、「離婚しても、子供を連れて田舎に帰ったら、親戚やジモ友(=地元の友人)が温かく迎えてくれる」みたいな事が書かれていますが、それは「ジモ友が居れば」の話ですね。
私は中学から県外通いなので地元に友人が居ません。しかも親戚は関西に幅広く分布しており、地元に帰っても頼れる人間が家族しか居ません。
まぁ、地元を「大阪圏」と解釈すればかなりの数の友人が出てくると思いますが、範囲が広すぎて日常的に頼れる相手ではありません。
というわけで、もしそんな事態になれば深刻な問題となるわけです。


本文を抜粋すると
>1995年から若者調査を行なうサントリー次世代研究所(当時)の研究でも、
>昭和50年代生まれの若者(現26〜35歳)に地元志向が強い、と出ている。
>いわく、この世代は小・中学校時代に深刻な“いじめ”問題に直面したこともあり、
>仲間の輪から外れることを恐れる。常に周りの空気を読み、「ジモ友」とうまく同調しながら人間関係を築く。
>昔から無意識のうちに、それを実践してきた世代なのだ。


私は正反対ですね。たとえ喧嘩やイジメに巻き込まれても「塾」というガス抜きの場がありましたし、小5まではその他習い事で人間関係を作ってきました。(残念ながら、当時親しくしていた人間の中で、現在まで交流がある人間は皆無ですが)
逆に塾で嫌な事があっても学校でガス抜き出来ましたから、あまり「特定の集団に属さないと友達が居なくなる」という強迫観念みたいなものが無かったんですね。


で、中学に入ると県外通いのために地元から遊離してしまいました。中学に入ると小学校時のようにガス抜きの習い事は無かったので、いかに友人と上手く接するかが問題になりそうですが、そもそも
私ですら無個性な人間に埋没する程、個性の強い方々が多い学校でしたので
「空気を読む」という概念は殆ど存在せず、あまりそういう事は問題になりませんでした。


この時に出会った中学高校の友人は今でも結構交流があります。但し、遊べるのは長期休暇に限られるため、大学に入ってからはガス抜きの場に困っていましたね。アルバイトを始めてからはその場が復活しましたが。


まぁ、離婚どころか結婚も絶望的なお前が言うな!と言われそうですが。