満州国の奉天市(現:中国の瀋陽市)では、何と大阪市営地下鉄による地下鉄計画が立てられていたらしいです。
Wikipediaの「奉天市地下鉄道」の記事
何故、東京ではなく大阪の地下鉄が採用されたのか不明らしいですが、恐らく
・外地で首都機能を模倣すると、日本の国家安全上よろしくない。
・当時の推計では奉天市の人口は1960年には300万人に達すると見られており、当時325万人の人口を抱えていた大阪市が都市規模として類似していた。
・碁盤の目に近い都市構造をしていた点で大阪に似ていた。
という理由が濃厚かと思われます。
凄いのが当時としてはかなりのサービスでの計画がなされていたという事で、Wikipediaの記事を抜粋すると
>乗客の駅識別をはかるために駅ごとに異なった形態としたり違った色をつけることも検討される
→最近のナンバリングのような発想が導入されていた。
>(奉天駅前駅は)北側から島式1面・相対式1面とし、さらに島式ホーム南側の線と相対式ホームの線の間を結んで牛心街寄りに折り返し設備を造ることになった。これにより、牛心街発東塔行の列車は島式ホームの北側、東塔発牛心街行の列車は相対式ホームで乗降を行い、当駅で折り返す列車は相対式ホームで降車扱いをしてから、折り返し線に入って逆転、島式ホームの南側で乗車扱いを行うことになっていた。
→御堂筋線の天王寺駅や四つ橋線の北加賀屋駅のような構造が提案されていた。
>一号線と二号線の交叉点である当駅(忠霊塔前駅)はT字型に交叉することが決定され、Tの縦棒である一号線の駅の東端から、横棒である二号線の駅に乗り換える構造となった。このため乗換の利便を考えて二号線側を浅くし、さらに島式ホームを採用することとした。一号線は相対式ホームとしておき、そこから階段を出して二号線のどちらの方向に乗り換えることも可能なようにしたのである。
→堺筋線と千日前線の日本橋駅のような構造。
>二号線と三号線の交叉点である当駅(小西辺門駅)は、開業当初から二号線と三号線の直通運転がなされる予定であったため、単なる乗換駅とはされず、大阪市営地下鉄御堂筋線および四つ橋線の大国町駅に見られるような島式ホーム2本、2面4線の方向別配線となった。
>電化方式は750V直流で第三軌条
→大阪市営地下鉄(一部路線除く)と全く同じ
>運転間隔は2〜6分間隔
当時、2分間隔で運行していた路線はなかなか無い
>大阪市電気局(現在の大阪市交通局)が当時市営地下鉄で使用していた100形・200形・300形に準じている。
今の大阪市営地下鉄で実践されているようなサービスが70年前にそれも外地で計画されていたとは驚きです。
残念ながら、ソ連の侵攻により計画は崩壊。測量まで行われたのに地下鉄は建設されませんでした。
尚、地下鉄計画の関係資料は一部消失したものの、大阪市公文書館に残されている(というより大阪市公文書館以外にこの計画を記した文書は一切存在しない)みたいです。
そして、計画から69年後の2009年、瀋陽市となった奉天市に瀋陽地下鉄1号線が開通。
ちなみに他地下鉄のノウハウを導入するためか瀋陽地下鉄の運営者の一つは香港MTRになっています。香港MTRは
・大国町駅のような乗り換えシステムを応用したものを複数の駅で採用
・駅毎に異なる色のタイルが使用
・駅要所出入り口のエレベータ設置、転落防止や坑道風対策のホームドアを全地下駅に設置する予定
など、おおよそ大阪市営地下鉄のサービスに似たような事が実施されており、近畿車輌や川崎重工業の車両を大々的に導入するなど関西の鉄道の知恵が生かされています。
つまり、大阪市営地下鉄の奉天地下鉄計画は70年近くの時を経て、香港経由で実現したと言えるんではないでしょうか。