Diary of a rail fan in Kansai,Japan(Ver.2)

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2008年8月20日の旅行記

広島からどこに行くかですが、色々検討した上で呉に行くことにしました。
昨日は気付かなかったのですが、ホテルを出たところに小さな池があり、金魚が泳いでいました。
昔はうちでも金魚を飼っていた時期もありましたが、


金魚を祭りの屋台で捕まえる→家でバケツor水槽に入れる→パン粉or金魚の餌をやる→水を替える→メンテナンスを忘れる→何匹かが死んでしまう→生き残ったの金魚を近くの池に放しに行く


というパターンダイヤになるので、(ぇ
もう飼いません。
以上のように、金魚には非常に申し訳ないことをしたので、見ると複雑な気分です。


ホテルからクルマで出て、広島呉道路を通ったのか通っていないのか、とにかくJRの呉線沿いに行きました。←ずっと携帯弄ってたから、どこ通ったか知らん。


呉の海事歴史科学館(の前の駐車場)に到着。ここから歩いて海事歴史科学館へ。
常設展に入ると、まず目に飛び込んできたのが
戦艦「大和」の大きな縮小模型←変な日本語
です。僕も含めて皆さんがパチパチ写真を撮影していました。中にはフラッシュを焚いていた方もいたでしょうが、sonshi1507氏の前でそれをすると大変な事になりますよ


次の部屋は、言わば「江戸末期〜現在の日本の歴史を呉の街の変遷と関連づけて見ていきましょう」的な一角となっています。非常に貴重な資料が多く展示されており、海に沈んだ戦艦から採取された備品などが多く置いてありました。


このコーナーをずっと見ていくと、
かつてはいかに呉が繁栄していたかがよくわかります。
1908年には日本で10番目に人口の多い都市(10.1万人)*1であったり*2
路面電車の開業が広島市のそれよりも3年早かったり*3
呉駅の乗降者数が広島駅のそれを上回った時期があったり
と、現在の呉市からは想像できないような繁栄ぶりです。
とはいえ、現在も駅前に大型百貨店や大型集合店舗を構えていたり、阪急沿線ではないのに阪急ホテルがあったり・・・
広島市の近郊都市としては最も大きい都市の一つになっています*4


戦前は軍需産業で発展した呉市ですが、戦後は他の産業で発展したんでしょう←よく覚えてないorz
ただ、資料を見て覚えているのは、
呉市電廃止、国内外4都市と姉妹都市提携、広島呉道路開通、東広島呉自動車道を整備中
といった、いかにも地方中心都市お決まりのコースを歩んでいることです。


その次のコーナーでは旧日本軍の戦闘機や潜水艦が展示されていました。航空ファンにとっては非常に興味深い展示でしょうが、僕は見ても何がどうなのかよく分からないので、次に進みます。(ぇ


次は2階に上がると、各戦艦の小さな模型がショ―ウィンドウで展示されていました。Nゲージと同じ1/150サイズの模型がないか探していましたが、どれも大体は1/100か1/200のスケールでした。
その次は子供の好きそうな科学館となっています。橿原市科学館とかなり似た感じですが、個々の展示物を見ると全然違うようです。
下に降りて、今度は「戦時下の少年少女達」という企画展に向かいます。
こちらは工場で働いていた若い人達がどんな生活をしていたかを展示するコーナーです。
当時のその人達の暮らしは概ね
5:00起床、21:30消灯
といった健康的な生活で、夜中の2時や3時まで(場合によっては4時や5時まで)ネットを弄っている、どこかの誰かも見習わないといけません。
しかも工場内(寄宿舎内だったかもしれない)で、俳句や短歌を載せた文芸誌も発行されていたようです。当時の楽しみは短歌や俳句だったんですね。
また、当時は米不足なので御飯の中に大根が混ざっていたりしたそうです。○○行事や○○合宿に行って、食事の時間毎に「あれは不味い、これも不味い」「あれは食えへんから残した」などと文句ばかり言う事に定評がある某学生もちょっとはこういう事を知っておかないといけません。


この博物館を出て、旅行定番の土産物店へ。↓皮肉
近所のあの人やこの人のために一生懸命に土産を大量に買っていました。僕はそのようなしょーもない商品よりも、旅行のネタ話をしてくれた方がよっぽど嬉しいんですがね。


昼食は呉駅の前(いや、あれは「中」と呼ぶべきか)で昼食。僕はロースカツカレーを頼んで食べましたが、祖父が皿うどんを残したのでそれも食べました。←また麺類かいな
昼食後は呉駅の改札口近くに行きました。

広島近辺にもICOCAが導入されたので、呉駅の改札も自動改札となっています。最近は遠方でICOCAをチャージする傾向があるspecial-rapid223は呉駅で1000円入金しました。履歴に「呉」という文字がついて欲しかったからです。←それだけか


呉駅売店でも土産物とにらめっこする僕の家族でしたが、僕はその間に呉駅の周辺を撮影していたのでどんだけ買ったかは知りません。

※この写真は土産物屋を後にしてから撮ったもの


呉駅からはクルマで帰ります。呉線沿いの道を走っていきますが・・・


瀬戸内マリンビュー発見


携帯を弄っている途中だった上にクルマで走行中に突然来たので、綺麗に撮れませんでした。と言い訳してみるテスト
その後、小さな駅の駅前を通って行き、

僕がうとうとし始めた頃には河内ICから山陽自動車道に入っていました。
うとうとし終わる頃には福山SAでした。
福山SA〜三木SAはノンストップ。ずっと携帯を弄っていました。ここで説明しますが、この旅行において、「携帯を弄る=旅行記の下書きを書く」ということなので、かなり酔いました*5
三木SAで一旦休みます。さすがにこのSAでは土産を買っていませんでした。
三木SAを出て、神戸北ICから六甲北有料道路に入ります。そのまま南下。高層マンション群がちらっと見えると「大阪圏に帰ってきたなぁ」と感じます。
知らない間に六甲有料道路に入り、県道95号に入ります。有料道路を出てからはしばらく僕には縁の無さそうな(泣)ホテル*6が大量に並んでいて賑やか?ですが、
その地帯を越えると山道をひたすら下ります。神戸大学の近くを通過して平地に出ると、阪急神戸線の通勤急行が走っているのが見えました(僕には種別が見えなかったが、弟によると通勤急行だったらしい)。
ずっと南下して、半身梗塞(nanahocyaさん風味)の湾岸線に入ります。ここから高石に出ます。助松JCTまで行って堺泉北有料道路に乗る予定でしたが、弟がトイレに行きたい様子なので、高石で降りてコンビニに向かいます。僕もトイレに行きたかったのでトイレを借ります。


堺泉北有料道路と南阪奈に乗って帰宅。
ちなみに晩はまた麺類を食べてしまいました。(もうええわ


旅行記に時間が掛かると予告しましたが、意外とスムーズに書けました。
さて、次はsonshi1507氏と北海道旅行です。旅先ではどんな楽しみやネタが待ち受けているのでしょうか。また、今回の旅行では結構疲れましたが、体力は大丈夫なんでしょうか。そして旅行記もちゃんと書けるのでしょうか・・・心配です。


明日から4日間は再び日常の日記に戻ることにします。それでは


3日目終わり(この旅行記終わり)
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*1:第29回「日本帝国統計年鑑」所載の戸籍簿から引用。

*2:現在は92位。

*3:但し、呉市電は1967年に廃止されており、逆に現在は広島市広島電鉄の方が日本一発達した路面電車会社となっている。

*4:広島県の都市としては広島市福山市に次いで3位である。

*5:酒酔いではなく、車酔いである。ちなみに僕は酒は飲まない。(但し、幼稚園時代や料理に酒の成分が含まれる場合を除く)

*6:高速道路のインターの近くにある場合が多いが、うちの弟曰くそれは「駅から遠くて不便」らしい。