Diary of a rail fan in Kansai,Japan(Ver.2)

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廃線跡探訪

暇だったので、小房線の廃線跡に行きました。小房線については以下を参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%88%BF%E7%B7%9A#.E6.AD.B4.E5.8F.B2


これより以下はその写真
※説明の都合上、「〜である」調で投稿しました。

橿原神宮前からは廃線跡がここまで続いている。(廃線後に標準軌に替えられた模様)



畝傍御陵前駅大和西大寺方を撮影。この写真では分かりにくいが、奥に引き込み線が見える。(この引き込み線は標準軌なので廃線跡ではない。)



この辺りから橿原線と分かれて右方へ向かう。ここから暫くは痕跡が全く無い。



暫くするとこのような細い道が見える。地図上で見ると不自然な位置にある道路となっていることから、ほぼ廃線跡だと断定出来る。



国道165号からさっきの細い道を見る。鉄道ではこの落差を上がることは不可能なので、国道165号が無かった当時は飛鳥川の堤防が今よりも低かったのだと推測される。と思ったが、他サイトによると実際は細い道路のすぐ横を通っていたようで、この落差も高架で越えていたらしい。



こちらは同地点の逆方向。写真中央の草むらの辺りが廃線跡か。



草むらの先にあった細い道。ここも地図上では不自然な位置にある道路となっていることから、ほぼ廃線跡だと断定出来る。



細い道の終点。先の家は新しそうなので、廃線後に建設されたのだろう。



先程の家から真っ直ぐ進んだ地点を撮影。目の前の田圃に線路が走っていたのだろうが、痕跡は無い。



同地点の逆方向を撮影。こちらも痕跡がゼロである。



暫く進むとここに来る。この写真では分かりにくいが、田圃の縁が周囲の区画に対して斜めになっている。半分くらいの確率で廃線跡である。



同地点の逆方向を撮影。この家の付近でJR桜井線と合流していたのであろう。家の左に見える架線はJR桜井線のもの。



合流後すぐの地点。写真に見える空き地は確実に廃線跡である。



踏切にもくっきりと線路を剥がした跡がある。



これは畝傍駅ホームから撮影。架線は張られたままである。(JR桜井線の電化は1980年なので、廃線後もしばらくは2面3線になっていたようである。)


復活はあり得ない路線だが、こんな近くに廃線跡があるのには感心した。